小田村伊之助(楫取素彦)について(前編)

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小田村伊之助についての紹介を前編・後編に分けて紹介していきますね。

 

小田村伊之助は仁先生とそっくり

小田村伊之助 楫取素彦

2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公、杉文の夫になる男性である小田村伊之助。

あのイケメン人気俳優の大沢たかおが演じていることもあり、その注目度を上げています。

大沢たかおが幕末風の衣装を着ていると『JIN-仁-』に出ていた仁先生を思い出す方も多いと思います。

伊之助は医者の家の生まれですし、役柄の雰囲気的に言っても仁先生を彷彿させますね。

ツイッターでも仁先生にしか見えないという声がいくつかあがってました。

 

小田村伊之助の父が切腹した理由

では、この小田村伊之助はそもそもどういう人物なのでしょうか。

伊之助は長州藩、現在の萩で藩医をしていた松島瑞蟠の次男として生まれました。

しかし、伊之助が4歳の時に父、瑞蟠は亡くなります。

切腹のシーンが放送されていました。

松島瑞蟠が切腹に至った理由はネット上では見つけられていません。

 

小田村伊之助、寿の結婚、そして子供の誕生

その後、12歳の時、藩校である明倫館の儒官であった小田村吉平の養子になります。

12歳と言えば、現在の小学校6年生ぐらいですが、その頃、儒者の家に養子になるということは勉学の才もあったのでしょう。

名を改めて、小田村伊之助と名乗ります。

伊之助は吉田松陰とも親交を深めており、互いに尊敬しあう仲だったと言います。

それもあり、松陰の妹である寿を嫁にもらいます。

ドラマでは傷心の寿が、寅次郎の献策、文のはからいで結びつきます。

この結婚により、希家と道明の二人の男の子を授かります。

 

小田村伊之助と長州藩、幕末における役目

さて、この小田村伊之助は明治維新間近の慶応3年に名を楫取素彦(かとり もとひこ)と変えます。

それ以後はこの名称を使い続けました。

さて、小田村伊之助の活躍を考える場合、大きく幕末までと明治以後に分けるのがわかりやすいと思います。

この節では前半の幕末までの時期を記載します。

前述のように伊之助は吉田松陰との関係もあり、松下村塾において塾生を指導したこともありました。

塾生には久坂玄瑞や高杉晋作など、倒幕運動の立役者になる人物を多数輩出しますが、伊之助も長州藩の主導した倒幕運動に関わり、いろんな場面で活躍します。

 

小田村伊之助が薩長同盟、戊辰戦争、維新で成し遂げたこと

特に薩長同盟で果たした役割は知る人ぞ知る話です。

薩長同盟と言えば、坂本龍馬が成し遂げた最大の功績と言われますが、龍馬と協力していたのが伊之助なのです。

長州藩の中心的人物の一人、桂小五郎と龍馬を引き合わせたりと、大きな歴史的展開をお膳立てしました。

一時長州藩の反論が倒幕から恭順へと変わった時には投獄されていたこともありましたが、その後は、解放され東奔西走しました。

最後は討幕軍に加わり所隊参謀として、幕府軍を倒し、明治維新を迎えます。

 

小田村伊之助と司馬遼太郎作品の関連

さて、最後のこの部分で意外に思う人が多いと思います。

はて? 色々幕末の書籍を読んだが、小田村伊之助なる人物については聞いたことがないぞと。

司馬遼太郎の小説にも、殆ど触れられていません。

竜馬がゆくで記載があるようですが、微々たるもので、その人物について窺い知れることはあまりありません。

 

なぜ小田村伊之助は司馬遼太郎作品で扱われていないのか

目立った活躍をしていないというのがあると思います。

功績は大きいと思います。小田村伊之助がいなかったら桂小五郎と西郷隆盛があうこともなく、薩長同盟が成立してなかったかもしれません。

東奔西走していた小田村伊之助ですから、縁の下の力持ち的な存在だったとわたしは理解しました。

坂本龍馬や西郷隆盛といった英雄的な存在感や立ち回り、影響力を発揮することは幕末においてなかったが、重要な役回りではあったのでしょう。

しかし司馬遼太郎作品で大きく扱われることがなかったのは残念ですが、今回の大河ドラマが、あまり幕末の知らない部分を描いてくれるような気がしており、楽しみが増しますね。

 

後編に続く >>> 小田村伊之助(楫取素彦)について(後編)

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