黒田官兵衛の最期について(生涯の晩年、最後の時をどう迎えたか)

Sponsored Link

黒田官兵衛 最期

播磨の小大名の家老の家柄から、福岡52万石の大大名にまでなった黒田家。

その礎を築いたのが、何を隠そう黒田官兵衛です。

この石高は前田家の加賀百万石には及ばないものの、国内でも指折りの大きさの大名と言えます。

息子の黒田長政が福岡藩の初代藩主であり、官兵衛は藩祖と仰がれています。

戦国時代の三英傑と言われる、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕え、軍略に秀でた軍師としての才能が、この黒田家の興隆をもたらしたのは間違いないでしょう。

 

さて、黒田官兵衛と言えば、毛利側との戦いである備中高松城の水攻め、また謀反人である明智光秀討伐のための中国大返しなどが有名です。

こうした戦国時代の中でも有名なエピソードについては官兵衛の名前と共によく語られます。

 

晩年の大きなエピソードと言えば、何といっても天下分け目の戦である関ヶ原の戦いでしょう。

でも、関ヶ原の後、最晩年については、あまり知られていないと思います。

 

その後の官兵衛はどう過ごし、最期はどうなったのでしょうか?

関が原の戦いにより、黒田家は長政が福岡藩52万石をもらい大出世します。

実はそれとは別に官兵衛自身にも関西か東国に領地を与えるという話があったそうです。

しかし官兵衛はそれを辞退。

悠々自適の隠居生活を満喫します。

太宰府天満宮に庵を築いたり、有馬温泉に湯治に行ったりと、まさにご隠居さんの身分で最後の生活を楽しんだみたいです。

風流な感じがしますね。

そうやって気楽な生活を送りながら、関が原から4年もたたない1604年4月19日に官兵衛はその生涯を閉じます。

若いころから、知略を引っ提げて、戦国の世を駆け抜けた官兵衛。

関ヶ原の戦いにより、ようやく天下が収まったのを見届けるように亡くなったわけです。

きっと自分の生涯に満足して、あの世に行ったのではないでしょうか?

築き上げた功績を失わずに確実に次の世に伝えた官兵衛。

家を守り、大きくするという、役目をしっかりと果した生涯だったと言えます。

劇的な生涯と最晩年ののどかな生活。

その動と静の対比も興味深いところです。

NHKドラマの軍師官兵衛では、その最晩年の様子をどのように描くのでしょうか。

妻や子供たちに囲まれた幸せな好々爺として登場するのか、それとも…

このあたりも軍師官兵衛の最後の見どころではないかと思います。

人は死ぬときに、自分の生涯を走馬灯のように見ると言います。

きっとそうやって自分の人生を振り返りながら笑って亡くなると想像しますが、どうでしょうかね?

 

Sponsored Link

コメントを残す

Sponsored Link


このページの先頭へ